2006年7月15日

サカー履歴書 3rd

1999年(高1)

少し迷ってサッカー部入部。迷った理由は覚えてないし、入ることにした理由も覚えてない。ポジションはずっと4-4-2のボランチ。一度だけ右サイドバックやったかもしれない。練習試合ユニは44番。

たまたま昨日いろいろな写真を見返してみた。1年生と言えば、部活動対抗リレー。部活動対抗リレーと言えばてっちゃんのトーマス。段ボール箱で車体作ってスケボーにうつぶせになって動力はてっちゃん。素晴らしかった。

冬に名入りのジャージを盗まれた。ないと困るのでin&outで同デザインのをしぶしぶ買う。いまだに主力ジャージなところがすごい。

ベルマーレJ2降格。部活の忙しさもあり平塚と疎遠になる。記憶にもあまりないシーズン。

あとはペルージャやらローマやら。


2000年(高2)

2年生の初仕事は部活動紹介。サッカー部の素晴らしさを紹介するために、秀逸な脚本・演出のもとドラゴンボール(ナメック星編)をやる。以下、役。
・クリリン(さすがピッコロと修行していただけあるな)
・悟飯(クリリンさんの技の多さにはびっくり満開)
・ベジータ(あと2個どこだ)
・ドドリア(ペタペタ)
・ドラゴンボール(最後のBGM)
・ポルンガ:2名(上のゴリラがなんかセリフ言ってたけどあんま覚えてない)
・フリーザ(ういー)
・気円斬(フラフープ)
・天津飯:7名(いい日カニ玉etc...)
・餃子(さよなら天さん)
あってるかな。天津飯多すぎw

後輩の入部もあり、Aチームで出れる気がしなくなる。一度Cチームで出るも、その試合で1ゴール挙げることができたことがこの年のプレーヤーとしての思い出か。練習試合ユニは24番。それまで誕生日やら小学校のユニやら"24"には縁があったから、少し変えて"25"にしようとしたらヨネとかぶった。仕方なく24に落ち着く。これが縁というものだな。

6月はひたすらEURO2000。全ての選手が高いコンディションで臨んだこの大会は、ここ数年でもっともエキサイティングな大会だと思う。いまだにこの大会のビデオは観返すことがある。ポルトガルとの出会い、開催国キラーイタリア、フランスの完成形。実況の「アンリが行く!」っていう短いフレーズからスピード感がにじみ出てて印象的だった。朝起きてビデオ持って学校行って誰かに貸すの繰り返しだった。決勝はしびれた。

オフはウイイレ4三昧。好きな選手だけでチーム作ったら都並、洪明甫あたりが入って対戦やるにはしんどかった。

ベルマーレに前園、松原が加入。でも成績あがらず。このころのことはほとんど覚えていない(知らないという方が適切かも)。部活やって帰って寝る生活だった。そのせいでJamiroquaiのライブさえもスルーした。激しく後悔。

Jリーグはテレビで流し見する程度。そんな中でたまたま観た広島の久保に衝撃を受ける。キレキレの西澤よりも久保にはまる。左サイドで2、3タッチの後ズドーンだもん。びびったびびった。

あとはローマやらアーセナルやら。


2001年(高3)

「ボレーシュートの鎌田くん」って大平に言われましたけど、いつボレーなんてしましたっけ?記憶にないんですけど。ゴールデンウィークで部活引退。いま思い返すと春休みのコンディションは悪くなかったかも。チームに必要な選手となるためにはもっと攻撃力を磨くべきだったと引退後に振り返る。最後にもらった白ユニは17番。

コンフェデのチケットがあっさり取れ、準決勝の日本vsオーストラリアを観戦。雨の中、中田がフリーキックねじ込んだ試合。しかもそっちのゴール裏だった。壁突き破ってボールが飛んできて、気がついたら立ち上がってた。実はオレがいたあたりは屋根付きで雨には全く困らなかった。決勝のチケットも取れないことはなかったけど、ビエラの一発にやられた試合だったら別に行かなくてもよかったという結果論。

年明けに気晴らしにロト6を買う。それまでのサッカー人生でつけた背番号(6、12、17、24、34、44)を数字として選択。見事4つ正解の4等約8,000円。入試前の景気付けとなる。

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