2005年10月19日

人付き合い

世の中には、闇雲(本人にそのつもりはないんだろが)に人間関係の輪を広げたがる人もいれば、本当に心を許せる(実際に相手が心を開いているのかを知る術はないのだが)人間のみとの付き合いでないと安心できない人もいる。

ただ、コミュニケーションが上手なことにこしたことはないとオレは思うから前者の方が好きである。

昨日とあることで人との繋がりということについて考えた。

繋がるということ。メアドを知ってること?夜中でも電話できること?年に何回か飲むこと?時々その人を案じること?毎日顔を合わせること?有益な情報を与えてくれること?

我思うに、「繋がる」という言葉が自動詞であるとおり、繋がりとは自然に起こるんだと思う。様々な過去のインプットによって、自然と現在、あるいは未来に「繋がっている」というアウトプットが生まれるんじゃないかなと。たとえば短期間でも濃密な時間をすごしたり、そこまで親しくなくても同じ景色を見ながら生活してきたり。

小学校で一緒だった友達は今でも大事だし、大学でたまたま一緒にサークルやったりイベントやった友達も大切。そこに天秤はない。

長い時間の付き合いがないなら、その分時間が濃くなればいいと思う。断片的にしか会わない友達だったらその瞬間をいっそう大事にすればいい。

「一期一会」という言葉もあるけど、この言葉って別に未来のことには言及してないよね。きっとその奥には、その瞬間に誠意を持って尽くせばそれからもいいお付き合いができるかもしれないですよ、ってな意味が隠されていると信じる。


結局文章まとまらず。自分の頭の容量超えたなorz


追記

今オレが人と付き合うときに考えてることは、何も考えないことです。ジッサイこんなこと考えて付き合うなんてしないっすよ。思い返してみて、あーこういうことなのかもなー、って考えたことを書いただけですから。

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