2006年12月23日

スノーボードについて

モチベーションが低い。

今シーズンに限らず、徐々に下がっているのが実感としてわかる。
滑る、飛ぶ、回るの爽快感を得られることとして魅力あるスポーツであることは自覚している。
しかし、それは対自分自身という点でのみでの話。

山と雪に立ち向かうスポーツだから、強いて制さなければならない相手を挙げるとしたら「自然」が正しいであろう。
自然に対峙したときの人間一人の小ささは先達があらゆるメディアを通して伝えてきた。ともにスノーボードに励む人たちは「仲間」であろう。

最近のファッションスノーボードとも言えるような風潮が嫌すぎる。

「自然」も「仲間」も関係無い。
『魅せる』『オレを見ろ』っていう雰囲気が強すぎるんだ。

 ちょっと上手いからって態度デカくないか。
 そんなに数万円もするウェアを毎シーズン買ってどうすんのよ。
 人工雪だけのスキー場でクルクル・ピョンピョンやってその先が見えているのか。
 アンタが山ごもりしていたなんて話に別に興味なんてない。

そんな風に醒めた目で見てしまう。
やってることは街にオシャレして出かけるのと大して変わらなく見える。

 『上手になる=カッコいい服を着る』

練習すればイイオトコ/イイオンナになれるっていう事実がモチベーションなんだ。
それだけのように思える。否定はできない。上手い人はカッコいい。それは歴然たる事実だから。

言いたいことは、カッコよくなるために上手くなろうとしている風潮が嫌だと言うこと。
もっと言えば、カッコよくなるために上手くなろうとしているのがカッコよく見えないということ。
スキー場という場所は特殊な点があり、練習と本番の境目が存在しない。どんな場面でも人の目に晒されているのだ。だから、練習している人をリフトから見て、そういうことがわかってしまうことがあるんだ。


昔の自分自身に対しても醒めた目で思い返す。
そういうのがスノーボードだとは思ってなかったけど、自身の行動だってファッションスノーボードだった。まるで中学生のような集団心理が働いて、乗り遅れないように流行のスタイルに近づこうとしたこともあった。

上手く言葉には表現できないモヤモヤがこれまでもオレの中にあって、他のスノーボーダー見るとそんな醒めた見方をしていた。今の最大の原因は自分自身の「スノーボードを制したい」という欲が薄れていること、いわゆる「飽き」と思う。一通りなんでもできるようになってからは視野が広がったこともあって、上に書いたような考えを持ってしまった。

一方で、スキーという非常に近所なウィンタースポーツにはそういう感情を持っていない。
もしかしたらスノーボードとのお別れは近いのかもしれないな。


所属していたスキー・スノーボードサークルはオフシーズンでもスノーボードに向き合う機会が増えて、なかなか面白い活動をしているように思える。あとはそれをいかに山と雪と他者があるスキー場に落とし込めるかが肝心だなと思っている。上手くいかなければ、「夏もスノーボードのこと考えてるオレってカッコよくない?」っていうメッセージだけを感じてしまうかもしれない。
まぁ、こんなこと感じるのはオレだけか。

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